鴨神社 地鎮祭 初宮 七五三 安産 厄除ほか お問い合せ・神事何でもご相談:電話 072-692-2355 (北川宮司宅)  鴨神社所在地: 〒569-1146   大阪府高槻市赤大路町42-3  子安天満宮所在地: 〒569-1146   大阪府高槻市赤大路町11-12

鴨神社 大阪府高槻市
 2016.4.6更新
 平成28年春季大祭案内


地鎮祭 初宮 七五三 安産 厄除ほか
お問い合せ・神事何でもご相談:
TEL: 072-692-2355
(北川宮司宅)

鴨神社所在地:
〒569-1146
大阪府高槻市赤大路町42-3

子安天満宮所在地:
〒569-1146
大阪府高槻市赤大路町11-12
鴨神社だより
 →2010.7.19更新 001.「葛城王朝」期からのロマンの古社
 →2012.5.4更新 002.わが町、歴史探訪・公開講演会「継体天皇と今城塚」記録から



~NHK大河ドラマ放映~
摂津の国の古社・平清盛ゆかりの「鴨神社」(旧式内社名 三嶋鴨神社)

●およそ860年前、清盛の義妹滋子(後白河天皇の中宮)が、
皇子誕生(後の高倉天皇)祈願のため、清盛が守護神として信奉していた
「三島神」の祀られている当社に参詣された。
清盛は、その誕生を慶び、京都・馬場に「三島神社」を造営された。
●当社は、奈良葛城王朝を支えた「鴨氏」が3世紀頃に創建し、
その後渡来した「三島氏」に併合され、「三嶋鴨神社」となって
全国の三島名の発祥の大本とも言われている。


● 平家一門の興隆と衰亡のあらまし
 ・平安時代末期の頃、海の武士平氏と陸の武士源氏などの武家一門は、
  朝廷の命令のまま盗賊などの捕縛に従事するなど、汚れ仕事を任されていた。
・そんなときの1118年に白河法皇の嫡外子として出生した後の清盛が、
 平氏の嫡男・平忠盛に引き取られ、その成長過程とりわけ船上生活のなかで源義朝や西行、
 さらに後の後白河天皇とも交流して夢を語り合い、1149年には安芸の国・国司となる。
・私生活では、先妻明子の友人時子と再婚し、宗盛・知盛・盛子についで
  徳子(後の高倉天皇の中宮で安徳天皇の母・後の建礼門院)を生む。
・その後、保元の乱・平治の乱に勝利し1167年・50歳で太政大臣となり、
  1168年には義妹滋子と後白河天皇の嫡男・高倉天皇を即位させ、
  1171年には娘徳子をその中宮に入内させ全盛期を迎える。
  叉1178年には、孫の安徳天皇が誕生するも、後白河法皇との確執もあって、
  次第に平家一門が追い落としに合うこととなり、自らのクーデターにより法王の院政を排除し
  トップの座に着き回生を図るが、
  1180年・安徳天皇の即位後の1181年・64歳で生涯を終えた。
・その後は、平家政権の消滅により安徳天皇など平家一門は三種の神器を奉じて
  西国へ都落ちし1185年、ついに壇ノ浦の戦いで滅亡することとなった。

● 清盛と鴨神社との関わりは
・前記私生活の中で、後妻として結婚した平時子(二位尼)の妹・平滋子(建春門院)が、
 後白河天皇の中宮となり、御子の誕生を祈願するため、予てより清盛が信奉していた、
 海の神「三島神」へ参詣し、念願叶って「高倉天皇」が誕生したことによる。
・即ちその「三島神」とは、当社「摂津の国・嶋下郡 三嶋鴨神社(現社名・鴨神社)」
 (清盛が御子(後の高倉天皇)の誕生を歓び造営した京都五条坂の三島神社由緒による)の
 主祭神のことで、当社の創建者の一人の・三島氏が「海(わたし)の神」として
 自らの守護神としていた「大山積(祇)大神」そのもののことであり、
 海の武士・清盛の関わりと拘りがしのばれる。
・尚、参詣先については、同市内の「三島江」の現社名・三島鴨神社(当地は当初から
 摂津の国・嶋上郡であるが、当時の社名は「三島神社」では、との推論もあるものの、
 その名称・創建時期共に不詳)の説もあること、叉当社への経路については、
 陸路では西国街道沿い直近でもあること、
 叉水路・淀川からは安威川や女瀬川、芥川経由もあることを付記します。




交通アクセス 鴨神社由緒 子安天満宮由緒 行事カレンダー inserted by FC2 system